2021.01.13

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【VG Weekly Highlight #9】

Vendee Globe スタートから65日目、このまま行けばTop集団は1月中下旬のフィニッシュが予想されている。
レース委員会、各チーム、そして現地のファン達は、長く過酷なレースを戦い終え、疲れ切ったスキッパー達を出迎える準備に慌ただしく動き出している。

■手を緩めない自然の猛威
残念ながらまた一人のリタイヤ者が出てしまった。
女性スキッパーで初出場のイザベルが、キールの固定システムが損傷してしまい、キールが機能せずに船体にぶら下がっている状態となってしまった。わずかに浸水も見られているそうだ。天候はうねりも波も強く、海面のコンディションが悪いが、船と身の安全確保に全力を尽くしている。大西洋を北上し、ゴールまであと少しのところでリタイヤとなったイザベルは「非常に残念で落胆しています。VGは私にとても厳しかった。しかし、ここまでのレースで、象徴的な三つの岬を通過した事を誇りに思います。MACSFとこのチームで闘った事は事実で誇りに思います」とコメントを残してVGの舞台から離れていった。イザベルは困難な状況に直面しているが、全身全霊で船を安定させ、ブラジルの港に寄港する事を検討している。

イザベル以外にも、ピップとマニュなどは苦しい後半戦を過ごしている。ピップは、1/6に日課である船内点検を行ったところ右舷ラダーに亀裂を発見した。オートパイロットでラダーを動かす度に亀裂が広がっており、スペアラダーとの交換に迫られていた。南緯55度付近の荒れ狂う海域での交換作業は非常に危険で困難なものだが、無事にラダーを交換できたようだ。ピップ自身も「作業を終えた時に喜びのあまりデッキを走って叫んだ」と喜びを爆発させている。

白石の後方を走るマニュは、序盤に白石が見舞われたトラブルと同じ事が起こってしまっている。オートパイロットが突然シャットダウンして、船がワイルドジャイブしてしまった。その衝撃で、メインセールロックが損傷し、メインセールも3ポイントの所で破れてしまったそうだ。

■影の立役者 凄腕集団カイロス
VGではスキッパー達にスポットライトが当たっているが、主役の影に隠れた裏方にも注目したい。
初出場で、先頭集団を走るヤニックには、凄腕のボートキャプテンがチームを支えている。スタンは、2016-2017VGのSAFRANチーム、そしてカイロスセーリングで、白石のコーチを務めているビルー(ローラン・ジョルダン)と共にフランスのセーリング界では誰もが知るセーリングのプロ中のプロだ。もちろんVGを走るヤニックが一番スゴイのだが、カイロスセーリングの経験と助言がヤニックのレース展開に大きく影響している。単独での航海ではあるが、VGでは陸上のショアクルーからの後方支援がいかに大切なのかが分かる。

白石においても、クルー達のサポートは勿論だが、カイロスの代表を務めているビルーから多くのアドバイスを受けている。白石はビルーの経験に裏打ちされた豊富なアドバイスを、自分なりに解釈して、ビルー、クルー達、船、そして海と風、地球との会話を積み重ねながら、1マイル1マイルと走っている。序盤にメインセールが破けてもここまで走れているのは、表には出てこない手練れ達のサポートがあるからこそだと感じる。
単独レースであっても、ファンや支援者からの思い、そして24時間支え続ける仲間達と航海しているスキッパーは、寂しくなんて無い!と改めてお伝えしたい。

■帆船乗りの墓場
白石は、古くから「帆船乗りの墓場」と呼ばれる、ケープホーンを間もなく越えようとしている。この海域は、風が常に東から西へと吹いており、大西洋から太平洋へと航海したい大航海時代の欧州の船乗りたちの行方を阻んできた難所だ。当時の帆船技術では、向かい風の中、ケープホーンを越える事ができずに、多くの難破船を出してきたが、スペイン艦隊を率いたポルトガルのマゼランが、南米大陸南端とフエゴ島の間の海峡を通り抜け、太平洋へと渡った。一度は耳にしたことがあるかと思うが、この海峡をマゼラン海峡と呼ぶ。
レースは、地球を東周りに進んでいるので追い風となるが、南緯56度のケープホーンでは、風を遮る大陸が無く地球をぐるっと一周する風と波で海面が非常に荒れている為、現在でも危険な海域だ。
船乗りの間では、この過酷なケープホーンを越えた者を「ケープホーナー」と呼んでいる。また、ケープホーナーはその偉業から港の酒場で“金のイヤリングをして、テーブルに両足をのっけて自慢話をしてもいい”とも言い伝えられている。

余談だが、白石が初めて「ケープホーナー」となったのは、今から約27年前の1993年12月13日午前6時(日本時間)。自身の著書では「特別な感慨は湧いてこなかったが、ポセイドンにこれまでのお礼と今後の安全航海をお願いした」と述べている。ケープホーンを越えてからも海域は荒れており、1993年12月15日の航海日誌には、「こんな荒れている日は憂鬱になるが、日本のみんなの顔を思い浮かべながら走る。師匠・多田雄幸氏の著書を読んで自分を奮い立たせる」とも述べている。義理堅い白石の事だから今頃、これまでお世話になった方や支援者、家族、そして師匠と過ごした時間を思い出しながら、自分を奮い立たせているのかもしれない。

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